スケジュール Schedule

1996.7.27

1996.7.27
ドアの開く前の静寂のなかで・・・  (後編)



音光/7月8日 -宇部- (後編)

7月8日は宇部市での初めての演奏会です。会場となった渡辺翁記念会館は、ステージ上にギリシャ神殿の柱のようなポールが立っており、そのポールに様々な色の光を当てる演出がありました。クラシック音楽の演奏会で照明を演出効果のひとつとして利用することは稀ですが、このような試みも聴衆の方々には視覚的にも楽しめるものではないでしょうか。

 音楽には「ねいろ」というものがあり、それは音色と漢字で書かれます。音色は絵画的な色とは異なり、音楽の世界では「響き」のことを意味します。照明というものは「ねいろ」とも「おんしょく」とも異なる「光の色」であり、言葉を造ってしまうと「音光」とでもいうものでしょうか。

 空に瞬く光、地を照らす光、道を流れる光に飾られた夜景をみつめながら、私の高層ホテルの部屋の灯りはいつまでも輝いていたのでした。



旅の楽しさ/7月9日 -長崎-

rika01  9日は九州への移動日、そして久しぶりの休養日です。長崎は私の大好きな街のひとつです。前回の訪問時には時間的な余裕があったので、市内をゆっくりと観光することができました。ホテルとホールの往復だけで終わることの多いツアーの中で、こうして訪れた街を少しでも観光する時間があると、その街に対する興味や理解が深まり、次回訪れるチャンスを手にしたときは、しばし一観光客となって自分の興味のある場所やお店に出かけることができます。
 私はガラスの質感がとても好きで、こうしたガラス細工のお店を巡り歩くことが、今回長崎に来る楽しみのひとつでした。ゆっくりと心が和んだあとの練習では出てくる音も柔らかで、適切な時期での休養は演奏の質を維持するためにもとても大切だと思いました。



音楽のページを心に/7月10日

 九州に来る度に長崎には訪れています。3回目ともなると、ホールは違っていても聴衆との強いコミュニケーションが感じられて大変気持ちよく演奏することが出来ました。今回のコンサートには子供の姿が多く、演奏中は緊張が持続するかと心配しましたが、皆さん最後まで礼儀正しく聞いて下さり、とても嬉しく思いました。終演後のサイン会にも多くの子供たちの列ができ、誠に和やかなものでした。

 子供たちの握る手は小さく力は弱くとも、何かを私に伝えたがっている目の輝きに、私はいつでもどこでも吸い込まれてしまいそうになります。この短い一瞬の触れあいで得られる喜びは、私にとってのエネルギー源のようなものなのです。子供たちの心にクラシック音楽のスペースを作ること、それは私が演奏家としての使命のひとつと感じています。  大人になるにつれて、心のなかの白いページはどんどん少なくなっていくと思いませんか? 子供の頃に音楽のページをしっかりと作っておけば、学生時代に受験に疲れたとき、自分を見つめ直したいとき、大人になってとっても忙しくなったり、苦しいときに、きっとクラシックの詩のないページが心を和ませてくれると信じています。

 器楽のクラシック音楽には、言葉で人を縛らない自由な空を行くような拡がりがあります。クラシックが苦手とおっしゃる方に、私は「空を見上げて下さい」そういう風に問いかけたい。地上には言葉が氾濫していて、人間同士もたったひとつの言葉で誤解したり傷つけたりしてしまいがちです。音楽にこころを傾ける余裕、それは平和な社会の象徴であり、そういう世界がこれからも続いていくことを私はこころから願っています。



夢を形に/7月11日 -久留米-

7月11日の久留米での演奏会には、600人近くの方が聞きに来て下さいました。普段のサイン会では圧倒的に女性が多いのですが、ここ久留米では男性の姿が目立ちました。サイン会では女性の方は「頑張って下さい」とか、その日の演奏の感想を聞かせて下さる方が多いのですが、男性の場合は少し違っていて、ご自身の音楽的な悩みを口にされる方が少なくありません。サイン会のように大勢の方のいらっしゃる場所で悩みを口にされる訳ですから、私も曖昧にはせず本心から答えるようにしています。

 ピアニストになるためにはどういう努力をすれば良いかと頻繁に問われるのですが、私は、「本当に心からなりたいと強く心で思うこと」だと思っています。「自分を信じて頑張れば夢は形になると思うこと」です。私がショパンコンクールを目指すきっかけ、その第一歩は、自分を信じてただやってみることから始まったのでした。

 私は運が良かったと思うのは、自分を信じようとするタイミングが絶妙だったのも事実です。大学2年の夏、19才から20才への最後の1週間に、ヨーロッパのとても美しい街で、そう思うこと、自分を信じて頑張ろう決意することが、普段住み慣れた日本ではとても照れくさいはずなのに、あのときあの場所では自然に出来たこと、スッと心に誓えたことが大きかったと思います。  誰だって、自分がしたいことは分かっていると思うのです。でも、したいことと出来ることに違いをつい見つけてしまいがちです。したいことが自然に出来ることになるには、私のように思い切って環境を変えてみること、誕生日のように節目になるタイミングをうまくつかんで、自分を思い切って旅立たせるような勇気が必要ですよね。

 とにかく第一歩は自分を信じること、第二歩はただやってみること。あとは、後戻りせずに前へ進むだけです。



今も昔も変わらないもの/7月12日・13日 -鹿児島-

 ツアー最後の都市は鹿児島でした。午後降っていた雨も開場時間までには晴れ渡り、桜島の姿がくっきりと浮かび上がりました。桜島は雨上がりが一番美しいそうです。こうした自然からのプレゼントを受け取って、私自身も澄み渡った気持ちで演奏に臨むことができました。

 私が敬愛するショパンの作品は、今から150年ほど前に作られたものが多く、1996年の今日では、彼の生前の姿を知る人に会うことは出来ません。しかし人の言葉でショパンを知ることは出来なくても、私は旅をしていると、きっとこの川の流れや山の形をショパンも見たのだろうと思うことがあります。自然は今でも私たちとショパンを大きく結びつける役割を果たしてくれていると思うのです。

 ショパンが日本を訪れたという記録はありません。ですから私が見つめていた桜島の雨上がりの空も、彼の人生には存在しません。しかし、こうした自然との対話から得られたメッセージは私たち音楽家には必要不可欠はものであり、このようなメッセージの多くがステージで音によって再現され、音楽が色を持ち、絵画的変身を遂げて皆さんに伝わっていく・・・  人間の生活はどんどん便利になり、5時間を超える移動では飛行機が中心になってきました。鹿児島を飛び立った飛行機の中で私は、このツアーを振り返る時間を得ることができました。演奏の心構えを交通手段に例えるのは奇妙かもしれませんが、私は移動が飛行機の時代になっても、窓の外に鉄道や船の旅行で得られるような、車窓の変化を表現できるようなピアニストになりたいと思ったのでした。

 今も昔も変わらないもの。どの時代の人々にとっても、愛された自然を自分の音楽にいかに取り入れて、いかに表現していくか。そうした自然と共生する音楽を求める私の旅はこれからも続きます。


旅の思い出  

宮谷理香のツアー日記いかがでしたでしょうか。出来るだけ自分の心に正直に、浮かんだ想いを文字に変えてみました。普段、音に変えて表現している自分の感情をこうして文字にするのは大変興味深いことでした。文字にすることで得られた心の動きと、音でしか現在のところは伝えられない想いが感じられ、こうした両面からの自己表現が、やがてより多彩な色合いとなって私のステージという時空間に現れることを自分でも期待しています。

 7月29日よりフランスへ旅立ちます。約2週間の滞在予定で、ルヴィエ先生とステファンスカ先生の定期レッスンです。8月はショパン・コンチェルト第1番/日本フィル/東京芸術劇場(藤岡幸夫指揮)。9月は昨年10月のショパンコンクールの会場でもあったワルシャワフィルハーモニーホールにてリサイタル。10月にはフランスでのリサイタルも決まり、これから試練の季節です。


(7月27日記)


次へ

>>タイトル一覧に戻る

pagetop