スケジュール Schedule

1997.1.26

1997.1.26
-風のように 陽差しのように-


  クラシックのコンサートで演奏される曲の圧倒的多数は、ヨーロッパ人の作曲によるものです。そして、そのほとんどが今から100年以上前に作られました。現在、私の演奏活動の中心に存在する作曲家フレデリック・ショパンは、父がフランス人、母はポーランド人で、1810年にポーランド・ワルシャワ近郊のジェラゾヴァヴォーラという土地で生まれました。

 私は、ショパンと直接話をした人、過去にそういう体験を持った誰かを知っている人に出会ったこともありません。多くの文献や肖像画、作品によって、ショパンを「知っている」というに過ぎません。ピアニストとしてショパンの作品を奏でる際に、知識としてショパンを知るだけでなく、いかに感じ、また表現するかという命題において、ピアニストによってその方法は様々です。私の場合は「頭で知るショパン」と「こころで感じるショパン」を私なりに合致させた後は、いつものようにヨーロッパへ飛んで、自分の音がどのように響くのかを確認するようにしています。


 今月13日から23日まで私はポーランドへ飛び、ワルシャワではパレチニ先生に、クラコフではステファンスカ先生に、来月10日のリサイタルプログラムを聴いていただきました。

 ハリーナ・チェルニー・ステファンスカ先生は、1949年に開かれた第2次大戦後初めてのショパンコンクールで第1位になられた、ポーランドを代表する女流ピアニストです。戦時中の中断もあり、また5年に1度しか開かれないショパンコンクールでは、私の入賞した1995年の第13回までに12人の1位入賞者が出ています(回数と数字が合わないのは1位タイが1回、1位なしが2回あるためです)。そして、そのなかで3人の女性のうちのおひとりです。先生は先月末で70才も半ば近くになられましたが、大変お元気で毎月のように演奏旅行で世界中を駆け巡っておられます。

 私が初めて先生にお会いしたのは1993年のことでした。その後に何度かレッスンをお願いして感じたのは、先生の描くショパンと私が表現したいショパンが非常に近いということでした。私にとってのショパン。それは今年の抱負として表現するとすれば、「自然なショパンの美の探求」ということでしょうか。

 作品を森に例えれば、存在しない音を出したり木を描いてはいけないということで、それは結果として、人工的に小川の流れを生み出してはいけないということでした。仮にそれがどれほど効果的に思えても。森のなかでは存在しても見えないもの、つまり演奏者である私は風となってどれだけショパンという森を表現できるかが最大のテーマでした。

 私は昨年3月にデビューしてまだ1年にも満たないピアニストですが、最近では自分なりにピアニストとしての考えが少しづつですが出来上がってきました。私にとってのプロのピアニストとは、ショパンの作品においてはショパンの森へ、聴衆という旅人を導く森のガイドのようなものではないかと思っています。ガイドであっても、風のように陽差しのように自然な形でみなさんの前に存在できるように、人工的な装飾を出来るだけ避けて、ガイドから最終的には、森の道しるべのようなピアニストを目指していきたいと思っています。

 1999年に、ショパン没後150周年が巡ってきます。今の私にとって大きな目標はその年にポーランドでヨーロッパで、ショパンを演奏する機会を手にすることです。私はこれからもずっとピアノを弾いていきたいし、出来ることならヨーロッパでの仕事を増やしたいと願っています。そのためにもっとショパンの基本を磨き、風のような陽差しのような音を奏でるピアニストになりたいと願っています。

 今日のお話の最後に、ホームページにアクセスして下さった皆様だけにいち早く私にとって大変重要なコンサートのお知らせがあります。8月末の日曜日、ショパンの像で有名なワジェンキ公園、そしてジェラゾヴァヴォーラのショパンの生家にて演奏させていただくことが決まりました。この象徴的な2つの場所でどれだけショパンに近づけるか、今からとても楽しみにしています。

1997年 1月26日
  宮谷 理香



次回は2月15日前後を予定しています。またアクセスして下さいね。

今日は2月12日です。10日に東京文化会館でのリサイタルも無事終わり、ほっと一息ついております。が、原稿がまだできあがっていません。少し休養をとってから頑張ります。もうしばらくお待ちください。

次へ

>>タイトル一覧に戻る

pagetop